心も栄養がないと枯れる。目的を持とう 【心の農業】

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心を病んでしまうのは栄養が足りないからだ。草木、穀物は栄養がないと枯れてしまう。水、日光、土壌、環境に左右される。しっかりとした環境で栄養を与えなければ朽ちてしまう。人間の心もそうだ。心の持ち主である自分がしっかりと自分の心を見てあげないと鬱になったり、社会的な生活が困難になったりする。そんな私が忘れられない言葉がある。

480年前頃の哲学者モンテーニュはこういっている。

「どんなに豊饒で肥沃な土地でも、遊ばせておくとそこにいろんな種類の無益な雑草が繁茂する。精神は何か自分を束縛するものに没頭させられないと、あっちこっちと、 茫漠たる想像の野原にだらしなく迷ってしまう。 確固たる目的をもたない精神は自分を失う」。(『エセー』より)

自分の心を耕そう

確たる目的を持たずに行動をする。大半の時間はそう過ごしているかもしれないが、重要な決断をする際に流れのままに判断すると、考えが流動的になったり、状況の変化によって意見が変わったり、軸がぶれてしまうことがあるかと思います。私の場合、疲れているときや判断力がにぶい時に判断したことで、あとで失敗したり良い判断ではなかったと反省することが多いです。疲れたときにこそ、今一度ぐっとこらえて判断をする目的を強烈に意識すると良い判断が増えると私は考えています。目指すべき方向を見定めないと、目的地の決まっていないドライブのように心が枯れて行く。はっきりとした目標ではなくとも少なくとも北へ向かうのか南へ向かうのかくらいは意識しておかなければ心は放棄された畑のように徐々に荒れていく。

放置された心は荒れ果てた土地となる

確たる目的を持たないまま生活をすると、モンテーニュのいう通り心に雑草が生えます。たとえば漫然と目の前の仕事をこなす。このような軸のない状態が続くと日々同じことを繰り返すことだけになってしまう。そうすると状況変化に右往左往したり、仕事に対するモチベーションが低くなる。このようなダウンスパイラルに入ると中々モチベーションが上がらなくなってしまう。雑草を駆除し、肥料を与え、ちゃんと育つようによけいな苗を間引きして精神を育てる。そうするとニョキニョキと伸びた苗が育ち、良い結果につながる。

確固たる目的は一つでなくて良い

「確固たる目的」と聞くと「生きる目的?」、「働く目的?」、「なぜ私は生まれてきた?」など非常に大きな目的を考えてしまいがちですが、ここではこの考えは封印してやめる必要があります。モンテーニュのいう目的とはこういった哲学の大命題ではなく、日々の連続した生活の中で訪れる判断一つ一つのことだと考えます。動けなくなるほど考えるのは問題ですが、「何故この判断をする必要があるんだっけ」と心に自問自答することで、心を耕すことにつながります。

目的意識をもって何事にも取り組むこと。「そもそもなんでこれをやるんだっけ?」と自分に質問をしてあげる。その連続が自分の道となり、心に栄養を与えることにつながる。さあ、それぞれの心という大地に苗が育つ環境を作ろう。

モンテーニュについて

1560年代、中世から近代への流の中、宗教戦争が悪化していた時代の人です。初めて寛容の精神に立ち、正義を振りかざす者に懐疑の目を向けた人といわれており、その代表作であるエセーでは、現実の人間を洞察し人間の生き方を探求する視点について記載されています。世は宗教戦争の時代、個人にスポットを当てていたこともあり、無神論の書として禁書とされた時代も1600年代にありました。難しい本ですが、冒頭に紹介したワンフレーズだけノートに書き留めて覚えています。

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