「減点方式×恥の文化」が日本をダメにする【企業の活力を奪う風土でストレス蔓延】

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失敗しにくい世の中で働く。

半沢直樹のドラマがまだ記憶に新しい。部下の成功は上司のものであり、部下の失敗は部下に押し付ける。そんな大和田常務の姿が印象深い方もおおいのではないだろうか。ドラマなのでかなり誇張しているが、実態だ。私の銀行員の友人もそういっている。むしろ現実社会では半沢直樹のように「倍返し」することはできないのでさらにツライという話を聞く。しかし、これは銀行に限ったことではない。僕らが働く一般企業でも大抵は同じ。ドラマや小説で描かれるような理想の上司像は稀有な存在であるといえる。

うちの社員は言われたことしかしない、おとなしい

このような愚痴を聞いたことは数え切れないほどある。しかしそうなった理由は個人や世代ギャップにあると片付けてしまってよいのだろうか。上に意見しないのには理由があるのでは?おとなしいのは理由があるのでは?と思う。今の日本企業は減点方式であるといえる。横並びの意識が未だに強いし、出る杭は打たれる。打てないほど抜きん出ている人は辞めてしまう。一つミスをすれば「一生その評価がついてまわる」という状況でみんな会社のために「失敗してもいいからやろう!」という気持ちになるだろうか。おそらくならない。言われたことを粛々とやる。上司に意見はしない。そうすると上からするとおとなしくうつる。それだけの話だ。ようは減点方式と横並び意識が悪いのであってあまり個人の問題ではないと考える。厳しい就職活動を乗り切って狭き門をくぐってきたワカモノがその職を手放してでもぶつかっていくだろうか。

言われていないことはやらない大人たち

年度の途中で新しく取り組みたいテーマが出てきたとしよう。それを企画部だったり工場に持ち込んでみる。すると「年初のテーマにないからできない」という回答を受けた方はいらっしゃるだろうか。いるとすればそれは減点方式が影響していると思っていいだろう。工場であれ、技術であれ、年初に決まったテーマ以外は基本的にやりたがらない。人事考課の期初目標も書いていることだし、それ以外のことはやりたくないと思うのが普通だ。私はどちらかというとそういったことは無視して面白いこと、会社の利益になると思えることはドンドンやりたいと思うので、ごくごく少数だが面白がって協力してくれる人とだけやる。それは社内外問わずだ。自分の会社が受けてくれないのであれば社外を巻き込んで利益を上げるスキームを考える。基本的に上司から言われていないことに対して心理的なハードルがあるので、あまりにもハードルが高い場合は乗り越えるだけの労力は無駄。そこまでして会社のために動きたいとは思わないので、色々と新しい案件があっても黙っている人も多い。机や頭の片隅にしまっておくだろう。そういった部分を引き出したい会社の経営者は嘆くのではなく、引き出せるような仕掛けを作っていくしかない。人間は思っているよりも創造力は高い。何も無い会社はあるけど何も無い人はいない。

成功も失敗も責任をうやむやにする

東電も国も責められない。この国はそういう体質だ。責任を取って辞職ということも少ないし、形だけ辞職しても会社の中にはいる場合も多い。成功についてもある社員を昇格させたり抜擢することは少ない。会社の序列を考えて一時金やボーナスくらいはあげるとしてもそれだけだ。失敗も成功もみんなで共有する文化の中では減点方式は致命的だ。あいつが失敗したおかげでうちの部署が虐げられると思われるかもしれない。そうすれば人はチャレンジをしなくなる。事業が赤字でも衰退していてもみんなで共有して愚痴って終わり。飲み屋に行けば上司の悪口や事業を嘆くだけ。それではあまりにつまらないが、上から責められる理由は無い。今日明日いきなり事業が悪くなったわけではない。脈々とマネジメント、経営陣が経営をしてきた。部門長が方針を出してきた。それに従った部下を責めるよりもその判断をしてきたマネジメントこそ責められるべきだ。さらにこういったマネジメントは抜け駆けしようとする可能性が高い。自分のキャリアにキズをつけたくないないので隙を見せたら「部下がやったこと」といいかねない。「前任からの方針なので」というかもしれない。そんな人には誰もついてこないはずだ。権限を持っている場合、嫌われたら自分の居場所がなくなるのでゴマをすったり、機嫌をとってくれている部下も心の底では仕方なく付き合っている可能性も大である。

日本だけの特異的な減少ではなく多くの国でも同じ

日本を特異的に見ることを日本人自らしている節があるが、実はこういった状況は日本だけではない。海外では当たり前のことだ。そもそも半沢直樹のように上に意見することはあり得ない。失敗をしたら責任をとってクビ、さらには部門ごと解雇ということもありうる。だから部下に責任を押し付けることなんで当たり前だし、そもそも上司は人事権を持っている場合が多いので誰もたてつかない。半沢直樹の大和田常務は何もめずらしいことではなく、グローバルに見ればああいった人はどこでもいるのだ。では日本独特のまずさはどこにあるのだろうか。

日本の問題は減点主義×恥の文化の組み合わせにある

単なる減点方式ならまだフェア。失敗をしたら責任をとって去る。人材市場が流動的であれば転職することも比較的容易だ。日本も転職率は上がっているとはいえ、未だに大企業では転職率は低いと思われる。人材市場が流動的ではないし、転職に対する悪いイメージが未だに強い。会社をクビになったらその人は部下を連れて部門ごと競合の会社に移ったなんていう話を海外の方から聞くことはあるが、日本ではそういったことはおきにくい。日本には恥の文化が加わる。減点方式に恥の文化が加わるとかなりストレスが溜まりやすい状況になる。恥の文化は「失敗したら恥ずかしい」というもので私もこの文化に完全に浸っている。失敗をしたら赤面するし、恥ずかしい。自分が悪いと自分を責めてしまう。良い面もあるので全否定は出来ないが、減点方式にこの恥の文化が結びついているので独特の閉塞感が生まれている気がする。

私自身、失敗の経験が足りない気がする。考えぬいてから行動をするタイプということもあるが、基本的に失敗に対する恐れがある。どんどん失敗を奨励するような環境にない。いつもリスクをヘッジすることを考え、行動力が失われるよりも積極的に行動できるようにしていきたい。

こういった状況への打開策はどこにあるのだろうか。またじっくりと考えてみたいと思います。(もしかしたらたくさん失敗をしてみるというビジネスが考えられるかも。)

【参考ブログ】

堀場雅夫ブログ:減点方式から加点方式へ

jotunの頭の中:減点法と加点法

決まったら考えるよ。:減点法と加点法

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