大人に友達は必要か 【友達がいないと悩む社会人】

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友達がいないことに不安や寂しさを覚えることはないだろうか。仕事を頑張り家庭をもち、なおかつ友達付き合いも豊富な人を見かけては「自分は全然友達いない」と悩むことがある。一体大人は「トモダチ」という存在をどう考えればいいのか。

検索すると見えてくるもの

GoogleやYahooの検索で「友達がいない 大人」とか、「友達がいない 社会人」とかで検索をする。そうすると大抵2種類の記事が引っかかる。1つ目はYahoo知恵袋やokwave界隈での相談事。自分にトモダチがいないことを不安に思って匿名の方に相談をしているようなケースがたくさん検索で出てくる。2つ目は情報商材を売るようなサイトや講演会への誘導。「あなたはコニュニケーションが能力低いからこの商材を読んで友達作ろう!」といったような勧誘サイト。一見親切な記事に見えて記事を読み進めていくと、結局は人の不安につけ込むような商材ビジネスのにおいがするサイトだと気づく。学生時代に友達がたくさんいて、毎日遊んでいた人こそ悩みとして「最近友達がいない」という不安を感じる傾向にあるようだ。かくいう私も心を開ける友人というのがほとんどいない。時々友達が少ないことに対する不安を覚えることもある。それでは多くの人はどのように友達関係を築いているのだろうか。いくつか記事を紹介しながら見ていきたい。

マイナビの調査では友達がいないが41%

マイナビによる調査記事があったので紹介したい。社会人300人を対象に「心を開いて話せる友人は何人いますか?」という質問をしたところ、いないと答えた人はなんと40.7%。地域性や性別に関する情報がないので300人というN数だけで考えるのはやや不安だが、最も多かったのは1人から3人で44%。次に多い答えが40.7%。この2つだけを足しても0から3人の人は85%程度となる。そしてアンケートという形式であることに注目したい。おそらくは回答する人は見栄をはる。本当は0人なのに1−3人と答えることは自然の心理であり、実際はもっと多くの人が「いない」か「いても1−2人」ということになるだろう。ちなみに10人を超える人は1%だった。次に友達という定義について考えてみたい

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友達の定義に関する様々な意見

普段読まない日刊spaですが少し前にこんな記事が。友達がいない大人への「みうらじゅん式」処方箋。こちらでみうらじゅん氏が友達について語っている。氏の話では「大人になったら、友達は全力で作らないとできないもの」であり、「意図的に作ることを推奨」しています。恋愛のように真剣に付き合って時間をともにして友達を全力で作らないとできないよという内容

一方で上記の記事にも記載があるが社会学者の阿部真大氏は弱いつながりでいいという考え。広く弱い繋がりをいくつも持つことが重要だという考えだ。弱いつながりについて悲観的に考えることはなく、例え付き合った期間が短くてもそれが友達だと思えばいいという考えです。友達という定義を真剣にとらえすぎるのではなく、弱いつながりを友達と思ってしまえばいい。少し古いですが、ルーキーズやろくでなしブルースのような熱い友情ばかりが友達関係ではないということです。

次におかしな幸福論というブログで書いてらっしゃるモリさんの友達がいない社会人という記事でのコメントをご紹介すると、「大人は学生ではないのだからある程度割り切って腹6分で付き合おう」というご意見。また、同氏の別のブログである私の道標にも友達がいない社会人の自分が嫌になったらという記事の中では一人でいることで孤独ということでもないしライフステージによって時間は変化するので会えなくとも友達と状況を確認しあえるくらいで良いとおっしゃってます。私はこの方のご意見がしっくりくるかなと思っています。自分の時間はライフステージで重要性が変わってくる。

ライフステージの変化からわかる友達との時間

こちらに簡単な図を書いてみました。横軸に年を取るごとにくるライフステージ。縦軸に時間の自由度、お金の自由度、体や健康の自由度を書いています。当たり前のことかもしれませんが、改めて考えてみたいと思います。

友達は必要か3<なりにプラス>

まず明らかなのは学生は時間も体力もあり、お金の心配が無いということ。「あの時をもう一度」と誰しも大人ならば思いますが、当の学生はそんなことは思っていない。常に社会に不満を持っている時期には「自分には何もない」と思ってしまう思春期だ。次に社会人になって独身時期も会社という存在に多くの時間を奪われるが、基本的に会社では勉強期間であり責任も薄く、体力だって有り余っている。独身であることから稼いだお金は自分に投資できる。

次は社会人で家族や子供を持っている時期。この時期は仕事の責任も多くなり人によっては部下をもつようになる。後輩はドンドン入ってくるしエースと呼ばれる時期でもある。子供が生まれれば自然と子供や家族の意識が強くなり、自分のことは考えられない。かといって不幸せなわけではないはずだ。自分が愛する妻や夫、そして子供のために責任感がついて仕事をがんばれる時期でもある。子供成長によってお金はドンドンかかるけれども子供への投資はなるべく抑制したくない。そして人によっては家を買うのもこの時期だ。大きなローンと子供の学費を背中に背負って踏ん張る時期でもある。この時期に友達付き合いに時間がグンと減るのは自然なことだ。みんな一生懸命に自分の人生を歩んでいる。

さらに年を重ねると子供も自立する。そうすると心配すべきはせいぜい自分の老後のことくらい。あとはペットのことや子供の結婚など、自分には選択肢が無いことでいろいろ悩んでいるくらいだ。この悩みは趣味といっていい。体力の衰えははじまるが、会社では出生競争にある程度のめどがついていくる。部長になってさらに昇進を目指すのもいいし、自分の限界が見えたらそこそこの給料でそこそこ貢献すればいい。会社を辞めて管理職として転職するのもこの時期だ。子供の負荷が無いし、ローンも残りわずかとなれば自由が聞くだろう。学生時代の友達と久しぶりの再会が増えたり、久々の同窓会に緊張して出ることもあるだろう。

そして最後は定年後の夫婦生活。それまでお互い苦労をして働いてきた。共働きが多い世代はお互いに苦労をたたえてお疲れさまといった感じだ。今の世代は自分の老後のことも考えて貯金に励み、子供の資金も心配しながら節約して働いてきた自分たちへのご褒美としてゆっくりとした時間を過ごしたいはずだ。夫婦で旅行にいってもいいし、友達との再会や、社会活動を通じてあたらしい友達を作ったり、色々な活動に手を出して死ぬまでの時間を有意義にしたいと思える時期だ。

なぜ「友達がいないことを悩むのか」という心理

いつも不安なわけではないはずだ。大人になっていつも悩んでいたらそれは精神的に成長していないか、かなり暇なのかどちらかだろう。前者はあまりいないとして、時間に余裕がある場合はこういった疑問を持ちやすい気がする。かといって全く不安に思わないという人もどちらかというと少数はではないか。おそらく、みんな不安に思うことは多く、孤独を感じるはずだ。私も時々不安に思うし、特に自分が疲れているときにそう思うことが多い。いったいどういう時にそう思うのか4つの状況にまとめられる。

  1. 過去と比較
  2. 他人と比較
  3. 別世代と比較
  4. 仕事や家庭の閉塞感
1つ目は自分自身の過去と比較する。ふとした時に「昔は友達いたけど今は全然いないけど大丈夫か」と不安になる場合。2つ目は他人を見たとき。友達付き合いが非常に活発で人当たりもいいし、エネルギーにあふれている人を見た時に「自分はなんて世界が狭いんだ」と思うパターン。3つ目は別の世代の人を見たとき。学生の集団を電車で見かけて「いいなあ時間もたくさんあって友達と楽しそうだ。自分は会社でヘトヘトでうらやましい」というような心理状態。そして4つ目は仕事だったり家庭で息が詰まる思いをしている状況だ。「今日も会社で孤独だった。だれとも心を許せない。かといってカルチャースクールにいくほどアクティブな性格じゃないし」といって悩んでしまうパターン。大きくこの4つのケースのときに「友達がいない不安」を感じるのではないだろうか
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自分の関係を4つの輪でとらえよう!

それではどのように友達関係をとらえれば楽になるのだろう。私はソーシャルメディアに限らず家族と会社以外の関係は弱いつながりでいいという考えに至った。以下の図を見ていただきたい。

友達は必要か<なりにプラス>

まずコアにあるのはあなた自身。次に一番身近で時間を長く過ごしている場として家庭と会社という空間がある。それは家族の輪、次に仕事の輪だ。自分のまわりにある家族と仕事の輪が最も多くの時間を過ごしているわである。その外側に「外の世界」というカテゴリーがくる。この世界は常に一定ではない。子供ができれば学校や近所付き合いが出てくるし、ジムや地域活動があればまた別の弱い繋がりが生まれる。そしてフェースブックなどのソーシャルで繋がるリアル緩い輪もあるし、匿名でブログやツイッターでつながるネットの輪もありうる。これの輪は時間や自分の中での重要性によって近くなったり、遠くなったりする。図式化すると以下の通りとなる。

友達は必要か2<なりにプラス>

ソーシャルメディアも2つに分ける(リアルソーシャルとデジタルソーシャル)

「256倍ブログ」を書いているしゅうまいさんの友達一桁だった私が大人になって友達を増やせたわけという記事ではソーシャルメディアの活用が紹介されてる。前述の社会学者の阿部真大氏による弱いつながりでいいという考えにも共通しているのですが、ソーシャルメディアを使って広く弱い繋がりを持つところからという考えにリンクする気がします。私もこの意見に賛成です。ただし私は不器用な人間ですのでソーシャルネットワークの世界を2つに分けて考えることが自分としてはしっくりきています。

つまり、リアルの自分を知っている人たちとの緩いつながりであるリアルソーシャルと、全くこれまで付き合いが無いけれども同じ趣味や同じ興味でつながるデジタルソーシャルの二つに分けるという考えはどうでしょうか。どちらの言葉も私が勝手に作った言葉ですのでそんな言葉は存在しないが、図式化すると下記。

友達がいない4<なりにプラス>

デジタルソーシャルの世界しゅうまいさんの「属性」という考え方を取り入れる。自分が興味があるジャンルでネットで仲間を作る。もし発展すればオフ会などオフラインでも付き合う仲間となるし、そういうことが面倒であればデジタルだけの緩い付き合いでいい。リアルの自分に近づけていく場合は戦術の円の真ん中のようにウェイトがあげってくるし、デジタルな付き合いのままではそのまま付き合えばいい。

一方でリアルソーシャルの世界は本当に知り合った人たちの輪。これまで自分が付き合ってきた仲間や知り合いをmixiやfacebookでつながる。お互いライフステージによって忙しいのであるから、近況をゆるく確認しあえる仲であればよい。SNSで人のリア充っぷりを見るのがいやであれば時々メッセージを送ればいい。そもそもSNSでは「何かあったときに更新すること」が大半であるので、他人のタイムラインを見ると「エンジョイ感」がひしひしと伝わってくるのであたかも自分がリア貧に思えてしまうだけだ。誰だって知り合いに自分の何でもないところや悩みをさらけ出すわけではない。単に他人がリア充に見えるだけだ。

このようにリアルソーシャルとデジタルソーシャルを分けて、場合によってはリンクさせるという考えはデジタルネイティブと呼ばれる世代にはわからない感覚かもしてないが、30代のおっさんとしてはやはり分けてスタートするくらいが心地よさを感じる 。

このように友達がいないことについて悩む必要は無いということがわかってきただろうか。自分のコアとなる部分を大切にして、広く浅くつながっている人たちを友達と定義してしまおう。そして時々関係が濃くなったり浅くなったりする。それでいいはずだ。テレビドラマで見る熱い友情はある種の学生ならではの「除外されたくない、同一感を求める」という恐怖心に縛られているものだ。大人である社会人の我々は充分色々なものに縛られている。友達関係は緩くて結構。

それでも友達を作りたい方はこちらのLifeHackerの記事が面白かったのでどうぞ!

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